東京の南120㌔㍍の洋上に浮かぶ伊豆諸島最大の火山島、伊豆大島。東京都心の竹芝桟橋から1時間45分、熱海や伊東から40分ほどの船旅でアクセスできるとあって、首都圏の住民からは〝安・近・短〟の旅先として人気がある。2~3月には椿の鑑賞、これからの季節は火山景観を眺めながらのハイキングを楽しむ日帰り客や1泊2日の観光客でにぎわうという。
だが、『島へ。』2022年6月号ではこの島に2泊、3泊と腰を落ち着けて「唯一無二でディープなアウトドア体験」を満喫する島旅を提案。三原山の溶岩地形や黒一色の裏砂漠、噴火後の植物たちの再生物語をたどるジオトレッキング、火山島ならではのオフロードをワイルドに駆け抜ける四輪バギーツアー、山と海に囲まれた最高のロケーションでのキャンプ、そして快適なキャンピングカーでの島巡りを紹介した。いずれもここ、火山島「伊豆大島」でしかできないアクティビティだ。
ここではその特集記事のなかから、ジオトレッキングのリポート記事を抜粋掲載する。

「三原山ジオトレッキング」で
大地の力と自然の再生物語を体感!!

伊豆大島は、島そのものが今現在も噴火を繰り返している若い活火山だ。平均すると100〜200年に1度、大規模噴火を繰り返してきたが、1777–78年の安永の大噴火が直近の大規模噴火で、それ以後は40年弱の間隔で中規模噴火を起こしているという。この100年間では1950–51年と1986年に中規模噴火が起き、86年時には島民たちが1カ月間の避難生活を強いられた。こうした年代ごとの噴火の痕跡や現在も脈動する火山活動、そして自然の復元力を体感するには、やはり実際に島のシンボル、三原山を歩いてみるのがイチバン。といったところでさっそく、伊豆大島の旅のメインアクティビティである「ジオトレッキング」に出発してみたい。

三原山山頂口の外輪山展望台から三原山を望む。火口から溶 岩流が流れ下った痕跡(黒い筋のところ)が遠目にもわかる

広大なカルデラ内を歩き三原山を目指す

伊豆大島の中央部には直径4〜4・5㌔㍍の巨大なカルデラ(大量のマグマが地下から噴き出し、地表が陥没してできた大きな窪地)が広がっており、そのなかに高さ約150㍍、直径約800㍍の中央火口丘、三原山がある。三原山が現在の形になったのは1777-78年のこと、安永の大噴火で大量の噴出物が降り積もって形づくられたのだ。ちなみにこのときの噴火は、三原山の裾野から流れ出した溶岩が海まで達するほど大規模なものだったという。その見事な山容を眺めることができるスポットのひとつがカルデラの西側の縁にある三原山山頂口、今回のジオトレッキングのスタート地点である。すぐ近くには外輪山展望台のほか、展望避難休憩舎内にガイド常駐の資料展示室があり、伊豆大島における火山活動の歴史を概観できるようになっている。ここで地元のグローバルネイチャークラブ所属のベテランガイド、西谷香奈さんと落ち合い、さっそく外輪山展望台からの景観を一緒に眺めた。見ると、新緑に覆われた広大なカルデラの平地の向こう、三原山のなだらかな山肌にいくつもの黒い筋が這うように伸びている。西谷さんはそのあたりを指さしながら「あれが1986年の噴火のとき、溶岩流が流れ下った跡だ」と。今からその溶岩の上を歩き、火口を間近に見に行くのだと思うと誰もがワクワクするはずだ。
しばらく絶景を堪能した後、いよいよジオトレッキングの定番コース「山頂遊歩道コース」(約1時間 ※)で三原山に向かう。まずは展望台のあるカルデラ外輪山の縁から、急勾配の坂道を下って広大なカルデラの底(カルデラ床)へ。そこからは目の前に迫った三原山に向かって平坦な遊歩道がつづくが、「道の両側に広がる溶岩原にもイロイロと見所がある」と西谷さん。たとえば「パホイホイ溶岩」という気になる名称が記された看板に従って遊歩道を左手に外れると、そこには安永の大噴火の際に溶岩流によって形づくられた小高い丘が点在している。なかにはシワ状になって流れた「パホイホイ(ハワイ語で「なめらかな」の意)溶岩」がいくつもあり、そのシワの寄り方はバラバラ。あちこちから溶岩流が噴き出し、それぞれの地形に合わせて異なる方向に溶岩が流れていったことがわかっておもしろい。

パホイホイ溶岩の一種である縄状溶岩。粘り気が弱い溶岩が流れ 冷え固まったことでシワが寄ったような状態に。写真右側と左側 とでシワの寄り方が異なっているのは、流れる方向がバラバラだ ったことを示している
1986年の噴火の溶岩流先端部。写真 右側にかつての遊歩道の名残りがある。ここから山側の道は厚さ 5㍍の溶岩流に埋もれた。左側にあるのが現在の遊歩道

遊歩道に戻って少しすすむと、1986年の噴火の「溶岩流先端部」に到着。西谷さんによれば、ここはその名の通り、
1986年の噴火時に三原山斜面を流れ下った溶岩が「ここまで到達した」という地点。「つまり、私たちが今、見てきた溶岩原は安永の大噴火や1950-51年の噴火のときに流れ固まったものだが、ここから先は1986年の噴火のときの溶岩」なのだという。実際、ここで厚さ5㍍の溶岩流の上に登って周囲を見渡してみると、三原山側はゴツゴツした溶岩が連なる黒色の風景、外輪山側は植生の回復がはじまっていて緑に覆われた風景、と景観がクッキリ異なるのがよくわかる。

溶岩流先端部の溶岩の上に登ってみると、ちょうどここが三原山側 のゴツゴツしたむき出 しの溶岩と、緑に覆わ れた外輪山側の境目で あることがわかる

溶岩流先端部をすぎたあたりから本格的に三原山を登っていくことになり、つづら折りの急坂がつづく。途中で振り返ると、カルデラの外輪山の向こうには海、さらにその向こうには伊豆半島や富士山がうっすらと見える。伊豆半島からわずか約25㌔㍍に位置する伊豆大島ならではの景観である。坂を登りきると、そこは三原山の火口のお鉢の縁の部分。三原神社にお参りし、高さ5㍍もの大きな溶岩の塊の間を抜けたら、三原山の火口の縁を一周する「お鉢めぐりコース」(約50分)へ。火口はもうすぐだ。

火口の縁にある三原神社の鳥居
そこから少し階段を下ったところに佇む社殿。もとは三原山の中腹にあったが、1950-51年 の噴火の溶岩流で埋没したため山頂付近に移設されたという
こ の大岩は1986年の噴火の際に溶岩湖のなかでできたアグルチネート岩塊(噴出したマグ マのしぶきが熱いうちにくっつきあって固ま ったもの)の一部。溶岩流に浮かんで流され たが、火口の縁で地面に乗り上げて止まり、 そのまま置き去りに
1950-51年の噴 火の際、溶岩流が地表を破って噴き出し、積み重なって固まった塚、ホルニト。この下に はもともと溶岩が流れていた空洞、溶岩トン ネルが広がっているという

現役火山の息吹が感じられる中央火口のお鉢巡り

ここから先は舗装道路が途切れ、小さなスコリア(火山噴出物の一種で、多孔質の黒い石)で覆われた道を歩いていくことに。地表の下を流れていた溶岩が地表の一部を破って噴き出し、積み重なって固まった塚「ホルニト」を通りすぎると、左前方に伊豆大島最高峰(758㍍)の三原新山が。

三原山の竪穴状の中央火口の南西の縁にそびえる島最高峰、三原新山(標高758㍍)

このあたりまでくると天候によっては台風並みの風が吹くこともあるので要注意だ。実際、取材当日も風が非常に強く、西谷さんが持参していた風速計では一時的に風速40㍍/秒以上を記録、油断すると吹き飛ばされそうだし、スコリアの地面は滑りやすい。一歩一歩、慎重に踏みしめるようにすすみ、三原新山の裾野を通りすぎたところで、突然、目の前に三原山の中央火口があらわれる。大地が割れ、陥没している様は迫力満点だ。かつては火口の底のほうに赤いマグマが溜まっているのを見ることができたというが、今は噴出物に埋もれて確認できない。ただ、火口の底や周りからつねに白い噴気が立ち上っているのは、地下のマグマで地中の水分が温められているからだ。この島がまさに若くて元気な現役火山であることをあらためて実感させられる。

 

直径約350㍍、深さ 約200㍍の中央火口。1986年の噴火で溶岩が火口を満たした後、フタをしたような状態で固ま ったが、翌87年の爆発的噴火で陥没し、このよ うな竪穴状の火口が再生したという

黒一色の荒野から自然の再生へ

火口のお鉢巡りを堪能して坂を下ったら、ジオトレッキングも後半戦。もちろん、この先の「温泉ホテルコース」(約60分)にも裏砂漠やジオ・ロックガーデン、再生の一本道といった目玉スポットが盛りだくさんだ。
この裏砂漠とは三原山の北東側に広がる黒一色の荒野のこと。「伊豆大島の主な風向きは北東や西南西の風で、噴火のたびに火山灰や火山砂、スコリアが風下側に厚く降り積もった。これら噴出物からなる地表は透水性が非常に高いうえ、噴火が起こっていない間も強風や雨水で地表が絶えず移動するため、植物の種や芽生えが定着しづらく、このような景観が保たれている」のだという。まさに黒い砂漠、とても生命が宿るとは思えない過酷な環境に見えるが、チョッと見ると、風を避けられる場所に徐々に植物の再生がはじまっているのを確認できた。

一面、黒くて細かいスコリアに覆われた裏砂漠
荒涼とした裏砂漠だが、各所でハチジョウイタドリの群落が見られ、ススキが風 にそよいでいた。自然の再生が少しずつはじまっている
時間をかけて溶岩を割って伸びているハチジョウイタドリ。その生命力に驚かされる

裏砂漠からゴール地点である大島温泉ホテルにいたるまでのコースのおもしろさは、なんといっても歩きながらこの植物たちの再生物語を体感できることだ。
まず、1986年の噴火の際のスコリアで覆われたエリアでは、厳しい環境下でも地下深くに根を伸ばして水分や養分を吸い上げ、驚異の生命力で生きるハチジョウイタドリの群落がそこかしこにある。「この群落が風よけとなってスコリアの動きを止め、そこに落ち葉がたまって環境を整え、土壌が発達、そこにハチジョウススキが生える」という。また、同じく1986年の噴火の際に溶岩のしぶきが固まってできた奇岩が点在する「ジオ・ロックガーデン」のあたりには、草だけでなくハチジョウイボタやニオイウツギ、オオバヤシャブシといった低木も育ちはじめている。そしてその先の溶岩原には樹高数㍍に達する低木林が広がっている。さらにカルデラの縁近くまで行くと、そこはもうすでに森と化しており、道の両側からハチジョウイヌツゲやヒサカキといった樹々が頭上に覆いかぶさっていた。このように、わずか数十分歩く間に火山荒原から草原、森へと噴火後の環境が変わっていく様が見られるのだ。

さまざまな形をした奇岩が多数集まっているジオ・ロックガーデン。1986年の噴火時、火口付近で固まっ たマグマのしぶきが溶岩流に乗ってここまで運ばれてきて、このような景観をつくったという。ちなみにジオ・ ロックガーデンから大島温泉ホテルにいたる道は「再生の一本道」と呼ばれ、このうち草本~中木が育つ区間 には「いつか森になる道」、中高木が育ちトンネル状になっている区間には「こもれびトンネル」という名がつ けられている
「いつか森になる道」のニオイウツギ
中高木が覆いかぶさる「こもれびトンネル」

この森を抜け、カルデラ壁の急坂を登れば外輪山の上の車道に出ることができるが、この際、もっとディープにジオトレッキングを味わってみたいという向きは、途中で道を折れて樹海のなかを通るコースを選んでみてはどうか。この樹海のなかでは、かつての噴火の際に溶岩流に乗ってここまで流れてきたと思われる溶岩の塊が緑で覆われ、そこから樹々が育っていたり、台風で倒壊した樹木の根が溶岩の隙間を這い回っていたり、といった光景に驚かされるはず。あらためて、火山の島で生きる植物たちの生命力を感じることができるだろう。30分ほどで樹海を抜け、本来のコースに戻って少し歩くと、大島温泉ホテル敷地内のつつじ園に出る。その先のホテル駐車場がゴール地点だ。これで今回のジオトレッキングは終了。体の疲れは大島温泉ホテルの露天風呂で癒すにかぎる。湯に浸かり、ついさっきまで歩いていた三原山を眺めるのは、ジオトレッキングの最高の締めくくりだ。

(※ 本記事は『島へ。』2022年6月号特集記事の冒頭抜粋版です。この後、誌面では火山島「伊豆大島」ならではの魅力的なアウトドアアクティビティを多数紹介しています。全特集記事と関連記事はぜひ同誌をご覧ください)

樹海には、2年前の台風で倒壊した木がそのまま残っていた。根が硬い溶岩の上を這うように、ときには 溶岩を貫いて伸び広がっている
伊豆大島ジオパーク推進委員会委員でもあ るガイドの西谷さん。裏砂漠にはところど ころ、このようにススキなどが風よけにな ってくれているポイントがあり、休憩にピ ッタリ。スコリアの上に寝転んでみるとや わらかくて何とも気持ちがいいので試して みよう

※各コースの所要時間について……記載したのはガイドなしで歩く場合の所要時間。ガイドツアーの場合はより時間がかかるが、各所で異なる年代の噴火の痕跡について解説してもらえるのでオススメだ。とくに後半の樹海を通るコースはわかりにくいのでガイドの同行が必須。