2022年10月、国分寺市内の「武蔵国分寺跡」が国史跡に指定されてから100周年を迎える。市は2022年度、これに合わせてさまざまな企画を打ち出しており、4月29 日には西国分寺駅前の「いずみホール」でオープニングイベントを開催した。さっそく、このイベントのリポートを通して、国分寺市が誇る地域資源を活用した観光振興の可能性を探ってみたい。なお、月刊『コロンブス』2022年6月号では、センターカラーページにて史跡とその周辺の観光リポート記事も掲載。ぜひあわせて一読いただきたい。

武蔵国分寺跡は市が誇る地域資源

武蔵国分寺の発祥はおよそ1300年前、奈良時代後半にさかのぼる。当時、伝染病の流行や飢饉、大地震、政治の混乱などが立てつづけに起こるなか、聖武天皇が仏教の力で社会不安を抑えようと国分寺建立の詔(みことのり)を発布、これを受けて全国各地に60以上の国分寺が建てられた。多磨郡をはじめとする20郡(当時)からなる武蔵国につくられた国分寺もそのひとつで、他国の国分寺と比べても最大級の広さを誇ったという。現在、史跡「武蔵国分寺跡」は歴史公園として整備されるなど地元住民に親しまれているが、国分寺市は近年、その唯一無二の文化的価値や魅力をこれまで以上に発信し、観光まちづくりにつなげようと奮闘している。史跡指定100年の節目は、まさにそうした動きを加速させる好機だ。

武蔵国分寺が生まれて1300年、そして史跡指定となって100年の2022年、観光振興を目指して「武蔵国分寺跡 史跡指定100周年オープニングイベント」が市主催で開かれた。冒頭に登壇した井澤邦夫国分寺市長(71歳)は「かつて巨大な国家プロジェクトとして各地に建てられた数々の国分寺。その名を現在もなお自治体名に冠しているのは全国でもわが東京多摩の国分寺市だけ。長年にわたる調査を経て、『武蔵国分寺跡』は全国的にみても史跡としての学術的価値が非常に高いことがわかっているので、これからはこの地域資源を今まで以上に文化振興や観光振興に活用していきたい」とあいさつし、市民らに対して「武蔵国分寺跡の素晴らしさと大切さをあらためて実感し、保存・活用にご協力いただきたい」と呼びかけた。

つづいて行われた記念講演「史跡武蔵国分寺跡の価値と保存について」では、文化庁主任文化財調査官の近江俊秀氏(56歳)が武蔵国分寺跡の史跡としての特徴をさまざまな角度から解説した。まず、武蔵国分寺跡が国の史跡に指定されたのは1922年のことで「史跡制度がはじまって間もない時期にいちはやく指定を受けられたのは、古くから地域の人たちがこの遺構を重要なものとして守ってきたおかげで、保存状態が非常によかったからだ」という。たとえば江戸時代の『江戸名所図会』には武蔵国分寺の礎石とそれを見物する旅人の姿が描かれており、すでに名所として特別視されていたことがわかる。また、武蔵国分寺の僧寺伽藍中枢部の金堂跡にはかつての礎石が多数残っているが、「史跡に指定された大正時代の現地写真を見ると、礎石は畑地のなかにある。農業にとってはさぞ邪魔だったろうに誰も撤去しなかったのは、それが重要なものだという認識が地域の人たちにあったからではないか」と近江氏は推測する。

文化庁主任文化財調査官の近江俊秀氏。考古学のなかでもとくに日本古代交通史や古代瓦に造詣が深い。文 化庁の公式YouTubeチャンネルで遺跡を通じて地域の 魅力を発見する「いせきへ行こう!」も制作している

痕跡が今に残っているのは礎石だけではない。この武蔵国分寺跡は、市街地にありながら往時の官道や建物の配置に沿った地割がそのまま踏襲されている全国でもめずらしい事例なのだ。「寺院や関連する建物、それを支える集落の範囲まで想定できることも、史跡指定を受けるうえで大事なポイントだった」という。事実、武蔵国分寺跡の史跡指定範囲には金堂や講堂などを含む中枢部のほか、その外側に広がる七重塔や南門、都へ通じる古代の官道(東山道武蔵路)の各所、その官道を挟んで西側に展開する国分尼寺、武蔵国分寺を支える人々の生活域など多彩な痕跡があり、「当時の国分寺の構成要素や機能などを研究するうえで重要な史跡となっている」そうだ。
このように武蔵国分寺跡はさまざまなめずらしい特色を備えた史跡。「ぜひともつぎの100年に向けて、これからも地域をあげて大事にしていってほしい」と近江氏は力説した。

2017 年、18 年度に整備された「金堂跡」。金堂は本尊 仏を安置する仏殿で、塔などとともに寺院を構成する重要な建物だった
2013 年、14 年度に整備された「講堂跡」の基壇外装(西側)。奈良時代後半、武蔵国分寺の瓦の生産が集中的に行われた埼玉県鳩山町と国分寺市の交流事業で、両自治体の住民がつくった瓦が積み重ねられた

好立地・アクセスを生かし史跡を巡る観光を盛り上げる

イベントの後半では、そんな貴重な地域資源、武藏国分寺跡をテーマにしたトークセッションが行われた。登壇したのは国分寺市出身のアーティスト、タレントで国分寺市観光大使の土屋礼央氏(45歳)と、市ふるさと文化財課文化財保護係長の増井有真氏(42歳)。

国分寺市出身のアーティスト、タレントで国分寺市観光 大使の土屋礼央氏(左)と、市ふるさと文化財課文化財保 護係長の増井有真氏(右)のトークセッション

ふたりの軽妙なトークで武蔵国分寺跡にまつわるディープな魅力がいろいろと語られるなか、観光振興の面では史跡の「立地やアクセス」が話題に。何でも、かつて聖武天皇が発した「国分寺建立の詔」には(七重塔を持つ国分寺は)「『国の華』であり、かならず良い場所を選んでまことに長く久しく保つようにしなければならない。人家に近いときは悪臭が漂うような所ではよろしくないし、遠いときは集まる人を疲れさせてしまうようでは望ましくない」という旨の文言があったとか。そして武蔵国分寺はこれに従って「武蔵国府の近くではあるが人家からほど良くはなれた場所、しかも寺院の運営に欠かせない清浄な湧水が出る国分寺崖線の近く」に建立された。しかもここは「東に流水(青龍)、西に大道(白虎)、南に低地(朱雀)、北に丘陵(玄武)がある四神相応(地形的景観が四神の存在にふさわしい所)の地、まさに国分寺を建てるのに絶好の場だった」そうだ。「現在もこの立地とアクセスの良さは変わらない」と増井氏。「新宿から電車で20〜30分、駅から徒歩十数分でアクセスできる場所に豊かな自然環境と奈良・平安時代の貴重な遺構が広がっている。この好条件を生かして、史跡の各構成要素をつなぐ周遊観光コースと町歩きを今後、盛り上げていきたい」と意気込んでいた。

史跡見学だけで散策を終えてしまってはもったいない。僧寺の北側、古代から武蔵国分寺を 包み込むように連なる「国分寺崖線」沿いには自然豊かなスポットが点在している。写真は「おたかの道湧水園」の池付近の散策路。国分寺市の名木ケヤキや四季折々の植物を鑑賞することができる
JR国分寺駅そばの殿ヶ谷戸庭園。段丘の崖にできた谷を巧みに利用した「回遊式林泉庭園」となっている

市では今後、100周年記念事業として歴史講座や講演会、子ども向けの体験イベント、市内文化財めぐり、史跡ボランティアガイドによる現地解説などいろいろな企画を実施していくという。往時の建物などが残っているわけではない史跡を観光スポットとして成り立たせるには当然、訪れた人がその土地にまつわるストーリーを思い描くためのガイドや仕掛けが必須。また、周辺の町並みや自然もセットで楽しめるような動線も重要だ。ぜひ自治体や観光まちづくり協会、商工会や地元事業者が一緒になってそうした体制づくりをすすめてほしい。