日本には「百年商品」をはじめとして、全国各地に長きにわたって広く親しまれつづけてきた商品が多数ある。そのロングセラーのポイントと動向について、商品ジャーナリストとして活躍する北村森氏に聞いてみた。
※ 本記事は月刊『コロンブス』2023年7月号「百年商品特集」(https://onl.tw/vpfXFKa)の関連記事です。ぜひ本誌をご一読ください‼

北村 森(きたむら・もり)

サイバー大学IT 総合学部教授(商品企画論)、秋田大学産学連携推進機構客員教授、㈱ものめぐり代表取締役社長

1966年富山県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。編集者としてホテルの覆面チェックをはじめとした各種商品テストに長年携わる。2005年から『日経トレンディ』編集長、07年から発行人を兼務、08年に日経ホーム出版社を退職し独立。現在は〝商品ジャーナリスト〟として活躍中。地域ブランディング案件にも数々参画する。

何を変え、何を変えないか
つねに見極めつづける

古川猛・月刊『コロンブス』編集長 百年、またはそれに近い年月の間、販売されつづけるロングセラー商品には、共通する強みや生き残り戦略があるように思います。数多くの商品に触れてきたご経験
から、北村さんの印象を聞かせてもらえますか。
北村森・サイバー大学IT総合学部教授 何を変え、何を変えないのかをつねに意識し、見極めつづけることが、ロングセラーの最大のポイントだと思います。たとえば大正11年(1922年)に電球用ガラスの生産工場として創業した松徳硝子㈱(東京都荒川区)は、時代の変遷とともに電球製造が職人の手吹きから機械製造へと移り変わるなか、あえて手吹き技術を追求する道を選択し、主力製品をガラス食器に切り替えました。そして研鑽の末、ついに薄さ0・9㍉㍍の「うすはり」グラスを完成させたのです。販売開始からはまだ約30年ですが、この商品には同社の創業以来の技術が詰まっており、その点では電球用ガラスからガラス食器へと形を変えた「百年商品」といえるでしょう。
富山県を拠点に260年以上にわたり和菓子を製造しつづけている薄氷本舗 五郎丸屋(富山県小矢部市)も、「変化の仕方」を見極めることで逸品を世に送り出した企業の代表例です。同社の代表的な銘菓「薄氷」は、宝暦2年(1752年)に5代目五郎丸屋八左衛門の手によって生み出されたものですが、16代目の渡邉克明氏が経営を引き継いだ際、この「薄氷」に対して複雑な感情を抱いていたといいます。なぜなら「薄氷」は茶道で出される「干菓子」であり、日常のお菓子とは違った存在だったからです。そこで、渡邉氏は薄氷を現代風にアレンジした新商品「T五」を生み出しました。「地元産の餅米・新大正米を薄くのばし、阿波産の和三盆を丁ねいにハケ塗りする」という薄氷の基本製法を変えず、それが食べられる場面を茶会から日常の場へと変化させたのです。まさに1752年からつづく商品の発展形ともいえるこの「T五」は世界に通用する究極のお土産と評価され、観光庁主催の「世界に通用する究極のお土産」2013年のアワードにも選定されました。
編集長 百年商品というと、こだわりの伝統製法を守りつづけているイメージがありますが、実は時代に合わせて変化してきたからこそ現代においても親しまれているのですね。

北村 そう思います。ただ、変化するといっても、時代の流行りや消費者のニーズに合わせてしまっては、その商品は長つづきしません。百年商品には基本的に、プロダクトアウト型(買い手ニーズよりも企業側・作り手の思いが反映された商品)が多いように思います。昨今、商品開発・生産・販売方法というと消費者のニーズを汲み取ったうえで商品開発を行うマーケットインが主流で、プロダクトアウトはともすれば作り手のエゴや独りよがりな考えで好き勝手なものを作るという意味に捉えられてしまうこともありますが、そうではありません。プロダクトアウト型の商品開発・生産・販売方法とは、時代やニーズの変化に流されたり、踊らされたりすることなく、「そもそもこの商品カテゴリとはどうあるべきか」という問いから商品づくりに取り掛かり、みずから消費者に向かって「こんな商品どうですか」と球を投げることを意味するのです。そういう「変わらない軸」がなければ、世に商品を送り出した後の歩みのなかで何を変え、何を変えないのかを見極めることはできないでしょう。

問われるのは
変化に対する姿勢

編集長 もっとも大事なのは変わらない軸をシッカリと持ちつづけること。しかし変えざるを得ないときにはどうするか、といった点についてはいかがですか。
北村 まさに好例があります。まだ販売開始から100年に満たないですが、「百年商品になるに違いない」と私が確信している商品を紹介させてください。大阪の難波の㈱アークティック(大阪府大阪市)が手掛ける「北極アイス」です。この商品が生み出された終戦直後の1945年、物資が不足する状況下で創業者が「子どもたちにおいしいものを食べさせてやりたい」という一心で必死になって原材料をかき集めてアイスキャンディをつくって売り出したそうです。現在も昔懐かしい棒つきアイスキャンディとして親しまれており、「最後まで味を楽しんでもらえるよう、落ちにくく、食べやすくする」ため棒が斜めに刺さっているのが特徴です。私はずっとこの商品のことが気になっていて、2代目の久保田光恵社長に取材する機会を得たとき、「なぜ一中小企業が1945年生まれのアイスキャンディを現代までロングセラー商品として生き残らせることができたのか」を根掘り葉掘り聞いてみたんです。すると、いくつものポイントが浮かび上がってきました。まず1945年から現在にいたるまで、変化といえばセロファンの手巻きから袋詰めに変えたことと、昔は夏はサッパリ味、冬は甘みを強くしていたのをエアコンが普及してからは年間を通して同じ味を提供するようにしてきたこと、この2点くらいで、あとは基本的に製法や材料などは変えておらず、抗菌作用のある奈良県吉野産ヒノキと香り柔らかなスギを棒に使っていることもずっと守り通しています。ただ、原材料の仕入れ先についてはさまざまな外部的な事情で変えなければならないことが何度かあったらしいのですが、その際には「かならずそれまで仕入れていたものよりも良いものを仕入れる」というのを絶対のルールとしてきたそうです。1990年代前半、インターネットが本格的に普及するより前にネット通販をはじめた先見性もさることながら、私はこの「変化に対する姿勢」こそ、中小企業が百年商品を目指すうえでもっとも重要なものではないかと感じました。
編集長 伝統の技術や道具を大事にし、時代の変化に対応しながらも、けっして変わらない軸と、変えざるを得ない際のルールを持つこと。本日は百年商品のポイントがよくわかりました。ぜひとも今後、そうした商品に多数、出てきてほしいものです。

【北村森氏注目‼ 100 年超の伝統技術を基盤とした商品開発事例】

・「日本伝統の帆前掛け」 ㈱エニシング(東京都小金井市)/2000年の創業当初は漢字Tシャツの企画・販売事業でスタートしたベンチャー企業だったが、同社代表がさまざまな生地を取り扱うなかで「日本伝統の帆前掛け」の産地が愛知県豊橋市しか残っていないことを知り、現地の前掛け織り工場「芳賀織布」から約70~100年前のシャトル織機10台を引き継いで最高級の「1号前掛け」を復活させた。ポイントは、この前掛けをプロ用ではなく、ロゴを入れて1枚6000円からで一般向けに販売したこと。ギフトとして瞬く間に評判になったほか、アメリカやヨーロッパでも人気に火がついた。
・「湊酒田の飾り菓子」 酒田まちづくり開発㈱(山形県酒田市)/江戸後期より、京都の職人が作成した木型で飾り菓子の製造をつづけてきた酒田市の老舗和菓子店、小松屋。2019年7月、惜しまれつつ180余年の歴史に幕を閉じたが、酒田まちづくり開発㈱が飾り菓子の伝統を継承し、観賞用としての製造・販売をつづけている。地元の人々がその経緯を知っていることから、現在はさまざまな場所で販売が活発に。近年ではインバウンド需要の増加で、商品価値がさらに高まっている。