江戸時代、風待ち・潮待ちの港町として重宝され、昭和初期にいたるまで瀬戸内海交通の中継港としてにぎわった大崎下島(広島県呉市)の御手洗地区。現在では集落全体が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、かつてのにぎわいの痕跡が随所に残っている。御手洗出身の田中一士さんに集落をじっくり案内してもらった。

※ 取材は2019年に行いました。

長らく海運で栄えた
御手洗の豊かさ

御手洗地区は大崎下島の東端の海沿いにある。御手洗地区ガイドの田中一士さんによれば、もともとこのあたりは荒野で人は住んでいなかったそうだ。様相が一変したのは1660年代。急峻な崖が海深く落ち込んでおり、潮待ち・風待ちにもピッタリな地形だったことから北前船の寄港地として一気に栄えたのだ。「隣りの大長地区から人が移ってきて町割ができ、この小さな港を船が埋めつくし、全国各地から商売人や遊女が押し寄せて来た」という。明治時代後半に北前船交易が終焉を迎えた後も、御手洗の海運業は活況を呈しつづけた。「昭和30年代には大長みかんが御手洗の港から大阪にドンドン運ばれ、巨万の富を生んだ。その頃はみかん箱ひとつで1日の稼ぎになったといわれ、集落にはみかん御殿が建ち並んだ」そうだ。そんな話を聞きながら集落内を歩いてみて驚かされたのは、重要伝統的建造物群保存地区となっているエリアが広いこと、そして古くて貴重な建物が数多く残っていることだ。田中さんによると、全国に現在118ある重要伝統的保存地区のなかで、集落全体が指定されているのは唯一ここ御手洗だけ。1991年の台風19号では、高潮によってかなりの被害を受けたそうだが、なぜこれだけの建物が無事に残っているのだろうか。もちろん、それは多くの建物が頑丈につくられていたからだ。「たとえば、立ち並ぶ商家の瓦に注目してほしい」と田中さん。見ると、多くの建物の屋根が平瓦と丸瓦を組み合わせた伝統的な「本瓦葺き」となっている。「本来は寺社仏閣や城郭などに用いられる工法だが、豊かだった御手洗では通常の商家でも本瓦葺き。その分、屋根の重量が増すため、柱が太くシッカリしたつくりになっている。おかげで、高潮で家財が流されても建物は残った」という。とはいえ、傷んだ古建造物群を元のとおりに修復するのは容易なことではない。「江戸時代から残る建物も多く、1棟数千万円かかるケースもあった」とう。重要伝統的保存地区となって以降、20年以上の歳月をかけて住民たちが少しずつ整備をすすめてきたのだ。

御手洗地区ガイドの田中一士さん
海沿いの御手洗地区。江戸時代には1500 人 もの人々でにぎわったそうだが、現在の人口は約 150人

幅広い時代の痕跡を
伝える歴史的建造物

では、実際に田中さんが案内してくれた御手洗の歴史的な建造物をいくつか紹介したい。まず訪れたのは「旧金子家住宅」。この建物は江戸時代、御手洗の庄屋役を務めた金子家が文人墨客や広島藩の要人などを接待するために建てた屋敷だそうだ。田中さんによれば「幕末には坂本龍馬や中岡慎太郎、大久保利通、桂小五郎、山縣有朋、吉田松陰、シーボルトなどがこの座敷を会談に使った。また、戊辰戦争前夜の慶應3年11月26日には長州藩と広島藩の重役がここで討幕の密談を交わし、翌朝、軍艦で大阪へ向かったという記録が残っている」という。旧金子家住宅のすぐそばでひときわ大きな存在感をはなっているのが、約300年前に建てられた遊郭「若胡子屋(わかえびすや)跡」である。当時、御手洗には4軒の遊郭があったが、若胡子屋はなかでも格式が高く、周囲でももっとも大きい建物だったそうだ。最盛期にはなんとここだけで100人以上の遊女が在籍していたそうだ。そしてもうひとつ、石造りの重厚な外観の「乙
女座」もなかなかの存在感だ。これは1937年に建てられた劇場兼映画館で、内部には立派な映写室があるのはもちろん、歌舞伎用の舞台機構も備わっている。これだけ豪華な娯楽施設の存在は、まさに御手洗の往時の豊かさとにぎわいの象徴といえるだろう。

幕末の歴史の重要舞台となった旧金子家住宅
文久3年、クーデターに敗れた討幕派の公卿のうち、三条実美ら七卿が都落ちした途中に立ち寄り、旅の疲れを癒したという竹原屋(庄屋)の建物も残っている
かつてもっとも大規模だった遊郭「若胡子屋」の建物
「若胡子屋」内部の様子。奥には座敷も残っている。天井板や天戸には屋久杉が用いられ、武家の書院造にあるような隠し釘が施されているなど、格式の高い造りになっている
昭和時代の御手洗の人々の娯楽需要を満たした乙女座
館内の様子。全席畳敷きでスロープになっている

ほかにも、集落内には安政5年創業の〝日本一古い時計屋〞で今も現役の「新光時計店」、旧越智医院の建物を移住者がゲストハウスとして活用している「旅籠屋 醫(くすし)」などたくさんの見どころがある。その時代、その時代の痕跡を目の当たりにできるのが、御手洗散策の何よりの魅力なのだ。

水色とオレンジ色の外観が目を引く旧越 智医院。2017年にゲストハウス「旅籠屋 醫」 としてオープン
〝日本一古い時計屋〟 「新光時計店」

サイクリストの聖地
中村春吉碑

田中さんは最後に、集落のはずれの天満神社にも連れて行ってくれた。何でも「ここにはサイクリストの聖地がある」とか。境内にひっそりと佇む中村春吉碑がその場所。碑文によれば、御手洗生まれの中村は1902年、日本初の「自転車による世界一周冒険旅行」を成し遂げた人物だそうだ。その偉業はサイクリング業界ではよく知られており「安芸灘とびしま海道を訪れる多くのサイクリストたちがここに立ち寄る」という。サイクリストのみならず、旅の安全を祈願しに立ち寄っておくといいだろう。

天満神社。菅原道真が太宰府へ左遷された折、途中この島に立ち寄ってお宮の奥の河原で手を洗ったことが、「御手洗」の由来といわれている
日本初の「自転車による世界一周冒険旅行者」として知られる中村春吉の碑。中国、東南アジア、インド、中近東、ヨーロッパ、アメリカを1年半かけてまわったという