㈱伊藤は鋼材の問屋として1989年に創業。その後、ステンレスなどの金属加工も手掛けるようになり、小ロットの受注をウリに事業を広げてきた。その加工技術を生かし、2010年に開発したのが「くつ底キャッチャー」、ステンレス製の滑り止めで、今や同社の看板商品になっている。

その開発のキッカケとなったのは、2000年代後半に山口県内で発生した事故だった。大手プラントで作業員がステンレス製のタラップで足を滑らせ、大ケガを負ってしまったのだ。「ステンレスの加工品は塗装を施さず、素材そのままの状態で使用されることが多く、万能で丈夫な反面、水や油で濡れると滑りやすいという大きなデメリットがある。そのため、この事故以来、当社に『滑り止めをつくれないか』といった相談がくるようになり、先代社長と熟練の職人たちを中心に開発に臨むことになった」と伊藤幸平社長(41歳)は話す。さっそく、まずステンレス板に突起をつけてみようということになり、金属パイプを10㍉㍍ほどに切って溶接してみたところ、それでは「コストが高く、とても商品にはならかなった」という。そこで、試行錯誤の末に薄い板金に穴を開ける際に周囲に突起をつける技術「バーリング加工」を応用することに。直径8㍉㍍程度の「キャッチスポット」と呼ばれる突起をつくることで、滑らず、かつ大幅にコストを抑えることに成功し「くつ底キャッチャー」が誕生したという。ちなみに、この突起の数や設置幅が滑りにくさのポイントになるそうだ。

「モノづくりの基本は開発体制」という 伊藤社長
                       

ところが、製品が完成しいざ販売に力を入れようとしたときに、先代の栄次氏(73歳)と当時専務の伊藤社長との間で意見が衝突。伊藤社長は利益率を考え、製造は外部委託することを提案したが、栄次氏は「設備を増強し、内製化することで下請けからの脱却をはかる」ことを譲らなかったという。そして、栄次氏はなかば強引に内製化の体制をつくり上げ、伊藤社長も「もうやるしかない」と営業に奔走。すると、「こんな商品を待っていた」と化学プラントや食品工場、原子力発電所などにつぎつぎと採用され、商品の売り上げは3倍に増加。現在は全国700社で導入されるようになったという。さらにその評判は多方面に広がり、今では工場だけではなく、海上自衛隊の潜水艦のはしごや「滑らない」という理由で学業成就で知られる防府天満宮の境内の階段にも使用されているそうだ。

「くつ底キャッチャー」は工場の 階段などに設置されている
                            

製品が軌道にノッた今、伊藤社長は意見が食い違ったときのことを振り返り、「モノづくり企業は安定を追い求めるのではなく、つねに開発に挑戦しなければならないという教訓を得た。これからもその気持ちを大切に、精進してきたい」と話す。あくなき探求心で、つぎはどんな課題を解決してくれるか、楽しみだ。