生糸貿易で栄えた
宿場町、八王子
安政6年(1859年)に横浜が開港して以降、日本は諸外国にとっての新しい貿易市場となった。そしてさまざまな輸出品のなかでも、生糸がヨーロッパなどへと盛んに輸出され、昭和のはじめまで輸出品の上位に。その生糸で大いに栄えたのが当時、甲州道で最大の宿場町だった八王子である。この地域では古くから蚕のための桑の栽培とその蚕から生糸をつくり出す養蚕業、絹織物の生産が行われてきた。さらに、横浜港まで1日でアクセスできる地の利もあったことから、市内西部にある鑓水地区を中心に「鑓水商人」と呼ばれる生糸商人が急成長。八王子―横浜間を結ぶ「絹の道(シルクロード)」がにぎわったという。
「絹の道」の歴史散策が
観光資源になる
八王子の「絹の道」とは、いったいどんな道だったのだろうか。その風情や文化を体感しようと、さっそく鑓水商人たちが栄華をきわめた八王子市鑓水地区へ。同地区の北野台緑地にある長い階段を上り、市内を一望できる丘の上❶に出ると、そこに「絹の道」と記された石碑❷があった。
聞けば、ここから約1.5㌔㍍の旧道が八王子市の史跡に指定されており、そのうち未舗装の約1㌔㍍は文化庁
の「歴史の道100選」にも選ばれているという。
この未舗装路が実に趣深い。森に囲まれた静かな散歩道といった感じで、訪れた晩秋には一面、落ち葉が敷きつめられていて風情タップリだった❸。そして道沿いや近隣には、鑓水商人たちゆかりのスポットも。そのひとつ、生糸取引で財を築いた豪商の八木下要右衛門家の屋敷跡は「絹の道資料館」となっている❹。館内には多数の資料と往時の写真が展示されていて、鑓水地区の移り変わりや商人たちの活躍がよくわかる。
また、絹の道の碑の近くには、江戸時代から明治時代前半にかけて、要右衛門のような鑓水地区の生糸商人たちが寄進した寺院のひとつ、道了堂があった。すぐ近くには、かつて全盛期の商人たちから多額の寄進を受けた鑓水諏訪神社❺もある。諏訪・子之権現・八幡の3社が合祀されている神社で、これら3社の本殿に施された彫刻は見事、往時の生糸商人たちの経済力をうかがい知ることができる。だが、彼らいわゆる「鑓水商人」の栄華は長くはつづかなかった。資料館の解説資料によれば「国の政策によって、機械製糸の大工場でつくられた生糸が大きな問屋の手に渡って輸出されるようになったことなどで、明治の中頃にかけて没落していった」という。
そんな栄枯盛衰に思いを馳せた後は、八王子駅近くの八王子織物工業組合(東京都八王子市八幡町11-2)に立ち寄ってみた。かつての絹織物産業は現在も形を変えて息づいており、ネクタイなどが多数生産され、「八王子織物」として高評価を得ている。同組合には、その八王子織物のネクタイやマフラー、ストールなどを販売する直営店「ベネック」❻があるほか、伝統的な機織りを体験することもできる。絹の道散策の締めくくりには、現代の「織物のまち・八王子」の文化を体感してみてはどうだろうか。
「八王子・絹の道」については、東方通信社グループの YouTubeチャンネル『コロンブスTV』の番組「東京TAMAらん旅図鑑」で関連動画を公開中!ぜひご視聴ください!