M7.6、1000年に1 度の 大地震で
能登半島を中心に甚大な被害が発生!!
2024年、能登半島を襲ったマグニチュード7・6の大地震
■2024年元日、それは突然のことだった
まずは地震のあらましから。2024年1月1日16時10分頃、能登半島は大規模な地震に見舞われた。この地震の震源地は能登半島の沖合で、地震の規模はマグニチュード7.6、震源の深さは16キロメートルと推定。佐渡島西方沖から能登半島西方まで広がる、北東から南西に延びる約150キロメートルの活断層が約40秒かけてズレ動いたといわれている。日本全国でその揺れが感じられ、とくに能登半島とその周辺地域では最大震度7の強い揺れが観測された。震源地が海底近くであり、かつ地殻の変動が大きかったために、その後、わずか1分足らずで津波が発生し沿岸部に大きな波が押し寄せた。
能登半島周辺では1993年にM6.6の地震が発生するなど、過去にもM6.0以上の地震が数回発生しているが、1600年以降はM7.0を超える地震が発生していなかったため、この能登半島地震は「千年に一度の地震」とも呼ばれている。
■無抵抗な街を襲う火災という脅威
また、輪島朝市通りでは地震発生から間もなく火災が発生。木造建築の家屋が多かったことや建物間の道路が狭かったことにより1時間に20~40メートルの速さで延焼がすすんだとみられている。多くの住民が帰省した家族と食卓を囲んでいたが、迅速に避難したことで被害を免れた住民も多かった。その反面、大津波警報発令による迅速な避難が初期消火の機会を失わせることになったとする声も。また、消防隊が出動したものの、地震による河底の隆起で河床が露出し、河川から消防水利の確保が困難だったとか、水道管の破損により消火栓が使用できなかった、あるいは消火のための人手がなく、"破壊消火”による延焼防止ができなかったことなどが、この輪島朝市の大火につながったという見方も。弊誌を発行する東方通信社輪島支局や弊社と関連する地域振興団体NPO法人ふるさと往来クラブが直営するのとひばファクトリー(株)も朝市の入口にあり、焼失した(写真-1)。
それにしても、現地では突き上げるような余震がつづき、現在(※)まで震度6弱が1回、震度5強が7回、震度5弱が8回など合計1483回の余震がつづいている。(※:1月21日8時 気象庁発表時点 図-1)


本誌「月刊コロンブス」でも能登半島地震取材記事掲載中!
本記事は地域における〝産業栽培〟をテーマとした月刊『コロンブス』24年2月号にも掲載されています。同誌では毎号注目の産業ジャンルやキーワードによる特集、全国の元気企業・躍進企業の記事を掲載‼ ぜひご一読ください。