7月30日付の『日高新報』では宮城県気仙沼で開かれた「かつお溜め釣り漁伝来350年記念シンポジウム」の模様を掲載。江戸時代の印南漁民が各地にもたらした偉大な功績が見えてきた。
紀伊半島の西部、紀伊水道に面した印南町は人口約7500人の小さな港町。この町が「かつお節発祥の地」であることをご存じだろうか。
かつお節の製造法を開発したのは、1600年中期、印南町の漁民・角屋甚太郎と息子の二代目甚太郎だ。初代が煮て乾かしたかつおを煙で燻す「燻乾法」を開発、息子はさらに長期保存がきく「固乾改良土佐節」を生み出した。これらの技術は長らく門外不出だったが、宝永4年(1707年)の大津波で印南浦が壊滅。その後、薩摩藩が印南漁民の森弥兵衛を技術伝承のため招き入れ、鹿児島県の枕崎市、指宿市にその技が根付いたという。さらに、1700年代、同じく印南漁民の印南與市が南房総と西伊豆にかつお節の製法技術を伝えたことで、徐々に全国に広がっていった。
印南町でかつお節の歴史を研究する坂下緋美 氏(84歳)は「13年前、枕崎市のかつお節工場を訪れた際、『300年前からお世話になっています』といわれた。印南漁民への敬意が今も鹿児島の地で生きつづけていることに感激した」と話す。
印南漁民の活躍はそれだけにとどまらない。宮城県気仙沼市のかつお漁の伝承にも一役買っている。7月20日、気仙沼市で開かれた「かつお溜め釣り漁伝来350年記念シンポジウム」に坂下氏が招かれ、講演(話題提供)を行った。氏によると『気仙沼市史』のなかに「1691年、気仙沼大島村に在住した印南漁民4人が、村人に漁法などの技術指導を行った」とあり、そのおかげで「村の鰹船が増え、全村民の3~4割に当たる494人が漁業に従事した」という記載がある。この4人の印南漁民については、これまで詳しく知られておらず、今後も坂下氏が調査をつづけていく、としている。
「かつお節生産量日本一」の鹿児島県枕崎市、「かつお水揚げ28年連続日本一」の宮城県気仙沼市。各地の漁法、水産加工業に貢献したのが江戸時代の印南漁民だった。その偉大な功績を「もっと顕彰したい」と坂下氏は話している。
日高新報
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